理想都市計画(りそうとしけいかく)とは|造園用語
英語:ideal city planing
その時代の人聞社会にとって望ましい都市の状態を描き、理想像として提案された都市計画。都市計画の変遷をみる流れの中で通常位置づけられる。これに対して、法律・制度によって計画を実現する行政制度としての都市計画を行政都市計画(administrative city planing)と呼ぶ。この両者は相互に影響を及ぼし、それぞれに発展を遂げてきた。理想都市は、モーア(T.More、1478〜1535)の「ユートピア」のように都市生活的、精神的側面から追求したものと、ハワード(E.Howard)の「田園都市」のように、都市空間的、物的側面から追求したものとに大きく二分される。ギリシアの哲学者プラトン(Platon)の「理想国家」やアリストテレス(Aristoteles)の「Politic」は、前者の理想都市の提案とみられ、また古代ローマの建築家ヴィトルヴィウス(Vitruvius Pollio、Marcus、前1世紀)の「建築十書」は都市の理想像を形態として表した最初のもので、中央広場から道路が放射する多角形の都市であった。15〜17世紀にかけて、フィラレーテ(A.Filarate)、マルティーニ(F.G. Martiui)、カタネオ(P.Cataneo)、シュペクレ(D.Speclde)、スカモッツィ(V.Scamozzi)、バサリー(G.Vasari)らの建築家によって多くの理想都市が提案された。これらルネサンス期の理想都市は、いずれも不整形で狭い街路網、その中に開けた教会前広場や市場、城壁のある多角形の星状型都市という特色をもつ。これらは、ヴィトルヴィウスの影響もあるが、当時の戦術・占星術・宗教観・自然観が融合して生まれたものである。その中でスカモッツイの提案である「パルマ・ノバ」はベネチア近郊に実現された。19世紀後半に、再々なされた理想都市の提案は産業革命と一致して本格的であり、オーエン(R.Owen)の「理想工業村」やフーリエ(F.C.M.Fourier)の「ファランスラール」など空想社会主義者と呼ばれる社会改良家による理想都市が提案された。そして19世紀末には、ハワードの「田園都市」やソリア・イ・マータ(A.Soria y Mata)の「線形都市」の提案がされ、これは、以後の都市計画に大きな影響を与える。20世紀初頭、ガルニエ(T.Garnier)の「工業都市」アンウィン(R.Unwin)、ホイットン (R.Whitten)、ウルフ(P.wolf)、ラーデイング(A.Rading)らによる「衛星都市」の提案、1920年代には、大都市の理想都市を描いた、 ル・コルビュジェの「300万人の現代都市」、「輝く都市」、ライト(F.L.Wright)の「ブロード・エーカー・シティ」の提案と続く。ペリ-(C.A.Pery)の「近隣住区論」やフェーダー(G.Feder) の「新都市」なども理想都市計画の一つである。

