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クラインガルテン(クラインガルテン)とは

クラインガルテン(クラインガルテン)とは|造園用語

英語:Kleingarten 〔独〕

ドイツにおいて、1919年の「クラインガルテン法」に基づいて制度化された都市緑地政策の一環としての貸農園。小菜園地や分区園と訳される。実態としての発祥は1832年失業救済事業としてキール市が市有地の一部を貸農園としたのが始まりとされ、1846年ライプチヒの医師シュレーベルが保健と趣味の涵養を目的として、これを都市の厚生・レクリエーション施設として普及したことにより発展した。さらに、1913年ごろからH.マースの提案によって、緑地計画事業と関連させたクラインガルテンの計画化が都市内およびその近郊でなされるようになった。クラインガルテンは貸農園であるから小作に当たるが、イギリスのアロットメントと異なり、その根拠法である「クラインガルテン法」では、一般農業小作を全く対象としていない。すなわち、クラインガルテンの小作目的は、営利を目的としない自家消費野菜や園芸農耕に限り、他人の土地において一定の賃貸料を支払い耕作を行うこととなっている。クラインガルテンは、国民公園(フォルクスパーク)等比較的規模の大きな公園の一角に設けられるものもあれば、クラインガルテン公園として、単独で計画されているものもある。また、クラインガルテンの特色の一つは、ラウベ(laube)と称される小屋が簡易宿泊が可能な程度の施設として各分区に設けられていることである。このこともあって、かつてナチス政権下において、クラインジ一ドルンク(Kleinsiedlungs)という菜園住宅団地の推進がなされたこともある。第一次世界大戦から第二次世界大戦直後まで、ドイツのクラインガルテン運動は最盛期を迎え、1940年統計で150万世帯がこれを利用していたということであるが、その後衰退した。しかしながら1980年代になって、都市の環境政策・福祉政策の台頭、さらには高齢化社会への対応の時勢を迎えて、西ドイツにおいてはFプランやBプラン等都市計画との整合の下、再びクラインガルテンの増設運動が展開されつつある。→アロットメントガーデン

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