遊園地(ゆうえんち)とは|造園用語
英語:amusement park, amusement garden, pleasure ground
大衆娯楽のための施設と設備を設け、日常味わうことのできない体験と楽しさと憩いとを提供する園地。多くは企業体が経営し、入園または設備利用を有料とする。デンマーク、コペンハーゲンの都心にある「チボリ」は、1840年代に着工し、1874年に開園した世界的に有名な遊園地の一つである。面積8haの深い樹林のなかに、野外劇場、人形劇場、コンサートホール、プレイグラウンドコーナー、回転木馬、レストランなどがある。他の遊園地と異なり、スピードの遅い乗物が特色で、また園芸の伝統から植物の管理が極めてよく1日平均38,000人の入園者があり、子供より大人の方が多い。オランダのハーグには各種建物と施設、人・道路・樹木などを実物の1/25に縮小した特殊の遊園地「マドローダム」が、1952年に開園している。遊園地は特にアメリカで発達し、1895年、ニューヨークのコニーアイランドは、アシカのショウから出発している。カリフォルニア州の「ナッツベリーファーム」は、1920年代からのもので、当初は西部の古い町のゴーストタウンを再現し、次第に近代的なコークスクリューなどのスピードを味わわせる乗物を導入し、面積は61haである。1955年、ロサンゼルス近郊に80haの「ディイズニーランド」が開設される。漫画ミツキーマウスの製作者ディズニー(W.Disney)が、大人や家族がそろって楽しめる娯楽を提供しようとしたもので。ミッキーマウスのイメージを利用し、古典的乗物と冒険的乗物で人々を運び、万国博覧会で経験した技術を応用した。敷地は冒険の国、開拓の国、お伽の国、未来の国の四つのテーマで分割され、施設の精巧さと魅力、ロマン、清潔さなどで人気高く、年間1,000万人以上の入園者がある。1971年には、フロリダに「ディズニーワールド」がオープンし、面積11,300haという膨大なもので、休日リゾートとして施設選択の自由性を求め、テーマパーク、乗馬場、水泳場、ゴルフ場、ホテルをはじめ、あらゆるレジャー施設を集め、都市もしくは地域計画の実験場ともいわれている。日本においては、江戸時代の広小路、火除地、社寺境内地での見世物や大道芸は、遊園地の催し物といってよい。1853(嘉永6)年森田六三郎が江戸浅草に開園した「花屋敷」は、花や動物を中心とした園地で、木戸銭をとり、1884(明治17)年には面積0.56haで、動物・植物のほか、菊細工・あやつり人形・山雀の芸当などの見世物がある。その経営は続けられているが、現在は近代的乗物を主とした小遊園地となっている。1904 (明治37)年 、大阪府国分町に「玉手山遊園地」、1909(明治42)年、東京に「玉川遊園」、1914(大正3)年、横浜市鶴見に「花月園」、1919(大正8)年、千葉県津田沼に「谷津遊園」がそれぞれ開園した。また1923(大正12)年以降は、徳島県の「江川遊園地」、愛知県の「犬山遊園地」、奈良県の「菖蒲池遊園地」、「生駒山遊園地」、東京の「豊島園」などが誕生する。大都市近郊遊園地の多くは私鉄もしくはその関連企業の経営であり、その先鞭をつけたのは阪急の 「宝塚遊園地」である。社長小林一三(1873〜1957)が、宝塚劇場とともに15haの「宝塚新温泉附属宝塚植物園」を設けたものが、今日の遊園地に発達し、他の私鉄がこれにならって沿線に遊園地を設けるようになる。昭和に入り、1927(昭和2)年、神奈川県に「向ケ丘遊園」などが開園したが、戦後は東京の都心に「後楽園遊園地」が開園したほかは、おおむね都市の郊外に敷地を求め、いわゆる郊外自然立地型の遊園地となる。高速道路の発達は時間距離を縮小して、都市からかなり離れた位置にも設けられるようになり、そのほか、万国博覧会の跡地とか鉱山の跡地も転用されている。最近、アメリカのディズニーランドの技術を踏襲した遊園地が千葉県に設けられた。遊園地は、大衆娯楽の変化にあわせて常に新しい設備、特に大型のスピード感溢れる機械の導入がなされているが、一方には自然を求めて緑豊かな環境も立場の条件になる。また、利用者も初期の児童中心から家族、大人も対象とされ、諸種のテーマが明確化されるようになっている。

