緑地(りょくち)とは|造園用語
英語:open space. grun-fla chen(独). espace libre(仏)
自然的環境を有するオープンスペース。広狭二種の取扱いがある。1918(大正7)年から1921(大正10)年にかけて、池田宏はその著書の中で、オープンスペースの訳語として自由空地を用い、1928(昭和3)年、元大阪市長関ーは自由空地は緑色地帯であるとし、これらの用語がやがて広義の緑地の語になり、都市計画用語としても広く用いられるようになった。1924(大正13)年、内務省都市計画局私案としての「公園計画基本案」の中で、公園を「都市民全般ノ為メノ緑地ノ一」と規定しており、これは公園を含んだ広義の緑地である。1925(大正14)年、北村徳太郎は雑誌「都市公論」にドイツ立法例を紹介しており、ここに用いた緑地の語は広義のものである。飯沼一省は、1931(昭和6)年から1933年にかけての論文の中で、オープンスペースやフライフレッへン、あるいはエスパースリープルの訳語として、「緑地」の語を用いることを提案し、その意味は公園を含めた広い意味の空地であり、都市におけるその重要性を指摘した。同じころ、永見健一や井下清志らは自由空地とはやや別の意味で「緑地」を用い、その土地はおおむね植物で覆われていなければならないとした。1932(昭和7)年、東京都市計画区域およびその周辺の緑地計画の樹立とその実現に関する事項を調査するため、内務省に「東京緑地計画協議会」が設けられ、その範囲は東京・神奈川・千葉・埼玉のー府三県にわたった。この協議会において緑地が定義され、「緑地トハ、其ノ本来ノ 目的ガ空地ニシテ、宅地、商工業用地及頻繁ナル交通用地ノ如ク建蔽セラレザル永続的ノモノヲ謂フ」とした。その種類については、大公園・小公園・慰楽道路・連絡道路・墓苑・社寺境内地・山岳・海浜・道路・広場・河川・植物園・学校付属苑地・共同園・私園などで、公衆が利用し得る公開緑地・学校園・団体園・分区園・農林業用地・庭園・保存地・景園地などとしている。この保存地は、保安林、風致地区、史蹟名勝天然記念物の保存について指定した地域、その他法律命令により自然状態が保存される土地である。こうして東京緑地計画協議会は、緑地の種類別に基準も定め計画案を作成した。この協議会のいう緑地の内容は広義のものであったが、1940(昭和15)年、「都市計画法」の改正にあたり、都市施設としての公園に並列させて営造物としての、すなわち狭義の緑地を挿入した。この場合の緑地は、レクリエーションと保健を主目的とする公園に対し、自然の保存および防衛・防災に重点をおいた空地であるとした。この営造物としての緑地は、1940(昭和15)年以降、都市計画緑地として計画決定され、事業が実施された。例えば、東京の砧・神代・小金井・水元・篠崎など、名古屋の大高・牧野池など、大阪の服部・鶴見などの各緑地で、1943(昭和18)年までに、全国では、3,903haに達した。これらの緑地の多くはその後、「自作農創設特別措置法」により農地となったが、一部は関係者の努力により再び緑地または公園となっている。この緑地は、公園との区別が不明瞭であり、機能・内容においてそれほどの差はなく重複しているため、固有名詞に「緑地公園」という語を用いている緑地もしくは公園もある。なお、土地区画整理の設計において、公園のほかに、三角地や急傾斜地のように建築に不適な土地を緑地とし挙げる場合もある。1960年代後半(昭和40年代)には、「首都圏近郊緑地保全法」、「都市緑地保全法」、「生産緑地法」などが公布され、前二者の緑地は、樹林地・草地・水辺地・岩石地が良好な自然的環境を形成しているものをいい、これのみでは営造物ではない。生産緑地は規模・位置などに条件はあるが、おおむね農地である。1976(昭和51)年の都市計画中央審議会において、「緑のマスタープラン」を審議した際、緑地について、自然的環境を有するオープンスペースであるとし、その種類として公園、狭義の緑地、広場、運動場、墓園といった公共緑地と、永続性を有していると認められる緑地との二つとした。後者の種類としては、水面、水辺、山林、原野、農地、社寺境内地、給排水その他処理施設、遊園地、私設公園、私設分区園、共同住宅緑地、工場緑地、学校企業厚生施設、林業試験場、農業試験場などを挙げている。→オープンスペース

















