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回遊式庭園(かいゆうしきていえん)とは

回遊式庭園(かいゆうしきていえん)とは|造園用語

英語:circuit style garden

池泉を中心に配置されているそれぞれひとまとまりの庭空間を次々に経(ヘ)めぐりながら観賞する庭園形式。桂離宮を代表事例とする庭園形式であり、後に江戸時代の大名庭園に広く採用されて、この時代の庭園様式となったもの。西沢文隆は「庭園論Ⅰ」(相模書房、1975)において、周遊式と回遊式を厳しく区別し、次のように説明している。「周遊式は点と点を線で結ぶが、回遊式は面の連続である。苑池を中心にいくつもの庭を配し、池の周りをめぐりながら各庭園を観賞して歩く形式が回遊式であって、苑路が池をめぐる形式であっても、極点から極点へ遮蔽された苑路を通って行き、極点だけを開けてみせるだけの中国庭園のようなものは周遊式である。回遊式はあくまで苑路でつなぐものの、主題は区画された庭(=室)の連続であって、周遊式のように苑路に主題があるのではない」。西沢の解釈によれば、それぞれ独立した茶庭を池泉の周囲に配置し、これ を苑路・延段・飛石・橋などで変化ある周遊路で回遊させる桂離宮庭園は、その典型例だということができる。と同時に、それ以外の大名庭園などでは周遊式に近いものが圧倒的に多いことになる。空間構成上の基本原理からいえば、西沢の区別には重要な意味があるが、庭園史一般には、座観式と回遊式の二分法で回遊式を特徴づけるにとどめている。回遊式庭園が、庭園文化としては成熟期にあたる江戸時代に完成したのには次の理由が考えられる(1)庭園史はそれぞれ前時代様式を前提とし、総合して発達するものであること、(2)江戸時代の大名たちは広大な敷地を処理し、多様な機能目的を満たすべき庭園形式を必要としていたこと、(3)政治的には安定した社会の下、参勤交代の制で街道沿いの名所や風景などに開眼し、大名たちの文化状況として庭園趣味が興隆したことと相乗作用があったこと、(4)大名の財政力を抑制しようとする幕府の方針と、庭園づくりに金をかけることとが一致したこと、(5)桃山期から江戸時代になると、新田開発・河川改修など大土木工事技術が発達し、その援用によって高度な水工技術を駆使したり、大規模な、あるいは繊細な土工、石工技術を活用した庭園がつくれるようになったこと、(6)安定した経済力を背景として、封建領主としての格式の誇示を図る必要があったこと、(7)庶民教化策の一環として偕楽(かいらく)・後楽(こうらく)などを園名に掲げた造園をしたり、白河の南湖のように庶民への開放を目的にした造園が求められるような社会的要請が増えていったこと等。回遊式庭園の造園的意義は、江戸期以前の日本の史的庭園意匠のほとんどが総合的に活用されていることと同時に、空間構成技術の多様性と完成度の高さにあり、このことは近代公園の下敷とみなすこともできる点にある。回遊式庭園には、茶庭・平庭・池泉・枯山水などの過去の各種様式が各部分に配され、それらは(1)社交 ・集会施設、(2)別業的休養施設、(3)儒教的教化施設、(4)出城的軍事機能、(5)鴨場・花園など、(6)弓場・馬場など、(7)薬園・菜園場・梅園など実用生産施設など、各種機能を満たすと共に、敷地の有機的結合と回遊によるシークエンス(広狭、明暗、高低、開閉、遠近、動静などの移動に伴う景観の変化)の効果的演出にまで十分気くばりがなされている。回遊式庭園の各部は、それぞれ独立的に機能するほどの庭になっているので、いわば庭園の有機的連合体といってもよい。各部につかわれたモチーフを具体的に挙げると、(1)浄土・蓬莱・鶴亀など思想的モチーフ、(2)山・海・田園・渓谷など自然的モチーフ、(3)富士・白糸の滝・八つ橋・松島など名所・名勝のモチーフ、(4)茶店や東海道五十三次の宿場町、農家など日常生活の情景的モチーフ、(5)観音堂・弁財天・五重塔・多宝塔など信仰的モチーフ、(6)西湖堤・円月橋など中国趣味や儒教趣味など趣味的モチーフ、(7)子孫繁栄を祈念する陰陽石などに象徴される願望的モチーフなど実に多彩であり、現代人の多様な要求を受けてこれを有機的に結合させるべき公園づくりにも参考となろう。このほか借景や汐入りの庭など立地条件の活用にかかる新たな技法の工夫もなされている。廻遊式庭園とも書く。→ていえんけいしき →えどじだいのていえん

回遊式庭園 |か|造園用語集用語集|株式会社渡辺|問題解決のスペシャリスト集団
回遊式庭園 とは造園用語集。株式会社 渡辺 |先人の想いを先進の技術で切り開く。「建設部門」を通じて豊かな国土の実現と社会資本整備の中心的な役割を担います。 「電気設備点検」「道路インフラ点検」を通じて国民の安全安心を確保に努めます。「EC...
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