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韓国の庭園(かんこくのていえん)とは

韓国の庭園(かんこくのていえん)とは|造園用語

錦繍江山とうたわれた美しい自然を尊重、それを補うのが作庭の原点で、道(神仙)・仏・儒の三思想が加味されている。古朝鮮時代、宮苑の記録はわずかに存在するが、庭園文化の開花は4世紀の高句麗・百済・新羅の三国時代からである。百済では391年南漢山城のころ、辰斯(しんき)王の宮殿に池・築山・珍禽花。500年態津(うんしん)城(公州) のころ、域内臨流閣に方池と珍禽。634年四沘城(扶余)のころ、武王の宮南池に用水・楊柳・方犬仙山の島などの記録。統一新羅時代にも674年文武王の臨海殿(雁鴨池)に宮殿側の直線状積上護岸、反対側の岬多い海岸状護岸と磁石・流れ・滝、巫山12峰や三神島があり中国神仙思想の導入が見受けられ、ほかに佛国寺(751)など寺院の九品蓮池(泮池)、王朝滅亡の舞台となった鮑石亭の流盃渠が遺されている。高麗時代には初め新羅の手法を受け継ぎ、中ごろから宋の影響を受けたようである。宮苑に花園・仮山・茅亭、その他客館・寺院・山荘庭園の簡単な記録はあるが詳かでない。山荘は扠臣らの政界隠棲の地、自然景観に人工の補いをつけるという林泉式庭園で1090年ごろ李資玄の文殊院庭園が好例。李氏朝鮮時代には、陰陽五行説に基づく風水地理説(地の生気を尊重する信仰)と図讖(としん)思想(予言信仰)による宅地選定方法が出現した。住宅は採光・排水よく、整った地が選ばれ自然景観ととけ合うよう東と西を低墻とし室内から借景され、落葉広葉樹や花木が主副・非対称に配植された。また家屋背後の北斜面は階段状に花階が造られ、別堂(離れ)・家廟や石蓮池・怪石・石盒等の石造物、美しい模様のある煙家(煙突)や墻壁、中でも花草墻は「十長生」、「四君子」、「幾何文様」、「吉祥文字」などが色彩塼で華やかに装飾される。ソウルの景福宮・昌徳宮が好例。池形は多様、そのうち方池円島(ほうちえんとう)は楼閣の内陣石柱断面が円、外陣の四角形と同様、天は円く、地は広く方形という陰陽和合が意味されている。ほかに1434年南原市、閔汝恭による広寒楼の官庁庭園、1530年光州市近郊の梁山甫による瀟灑園など楼閣亭榭を山水景勝地に置く林泉式庭園がある。

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