あしかがただふゆ【足利直冬】とは

あしかがただふゆ【足利直冬】とは|一般用語南北朝時代の武将。尊氏の庶子。直義(ただよし)の養子。長門探題。鎮西探題。養父直義が毒殺されてのち,尊氏と決裂。以後南朝方に属す。九州・長門で勢力を蓄え,1355 年尊氏を破って入京。2 か月後に奪回されて敗走し,中国地方を転々とした

あしかがたかうじ【足利尊氏】とは

あしかがたかうじ【足利尊氏】とは|一般用語(1305-1358) 室町幕府の初代将軍(在職,1338-1358)。初名は高氏。元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをし,後醍醐天皇の諱(いみな)尊治の一字を賜り改名。のち天皇にそむき,1336 年光明天皇を擁立し,室町幕府

あしかがじだい【足利時代】とは

あしかがじだい【足利時代】とは|一般用語⇒室町時代https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/01a/1850.html

あしかがしげうじ【足利成氏】とは

あしかがしげうじ【足利成氏】とは|一般用語(1434-1497) 室町時代の武将。初代古河公方(こがくぼう)。持氏の子。1449 年鎌倉公方。54 年関東管領上杉憲忠(1433-1454)を殺害し幕府と対立。55 年下総古河城に移り古河公方と称し,堀越(ほりごえ)公方足利政知

あしかがこうぎょうだいがく【足利工業大学】とは

あしかがこうぎょうだいがく【足利工業大学】とは|一般用語私立大学の一。1967 年(昭和 42)設立。本部は足利市。https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/01a/1848.html

あしかががっこう【足利学校】とは

あしかががっこう【足利学校】とは|一般用語足利市昌平町にあった学校施設。室町初期の創設といわれる。永享年間(1429-1441)上杉憲実(のりざね)が鎌倉円覚寺より快元を招いて整備し,以後上杉・後北条・徳川各氏の保護を得て 1872 年(明治 5)まで存続。https:/

あしかが【足利】とは

あしかが【足利】とは|一般用語栃木県南西部の市。足利氏発祥の地。足利銘仙をはじめとする伝統的な繊維工業のほか,機械・化学工業も進出。もと宿場町。https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/01a/1845.html

あしか【海驢・葦鹿】とは

あしか【海驢・葦鹿】とは|一般用語(1)食肉目アシカ科の海獣の総称。(2)(1)の一種。体長は雄が約 2m,雌は約 1.5m。毛は暗褐色。四肢は魚のひれ状。群れをなして生活する。うみうそ。https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/0

あしおどうざんこうどくじけん【足尾銅山鉱毒事件】とは

あしおどうざんこうどくじけん【足尾銅山鉱毒事件】とは|一般用語足尾銅山から流出した鉱毒の被害に関する事件。渡良瀬川流域の農民を中心に,大規模な請願・反対運動が展開,明治 20 年代から 40 年代にかけて大きな社会問題となる。日本の公害運動の原点。https://kabu

あしおどうざん【足尾銅山】とは

あしおどうざん【足尾銅山】とは|一般用語足尾町にあった銅山。もと江戸幕府が直轄,明治初期以降古河鉱業の経営。1973 年(昭和 48)採掘中止。https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/01a/1842.html
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