ひろたこうき【広田弘毅】とは

ひろたこうき【広田弘毅】とは|一般用語(1878-1948) 政治家。福岡県生まれ。東大卒。斎藤・岡田内閣の外相。二・二六事件後内閣を組織。翌年第一次近衛内閣の外相。終戦直前,和平交渉にあたるも失敗。戦後,A 級戦犯として南京虐殺事件の責任を問われ,絞首刑。https:/

ひろそで【広袖】とは

ひろそで【広袖】とは|一般用語和服の袖口を,縫わずに全部あけたもの。どてらの袖など。https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/27hi/3318.html

ひろせたんそう【広瀬淡窓】とは

ひろせたんそう【広瀬淡窓】とは|一般用語(1782-1856) 江戸後期の儒者・漢詩人・教育家。旭荘の兄。豊後日田の人。学塾咸宜園(かんぎえん)を開く。門下に大村益次郎・高野長英らを輩出。著「淡窓詩話」など。https://kabu-watanabe.com/glossa

ひろせたけお【広瀬武夫】とは

ひろせたけお【広瀬武夫】とは|一般用語(1868-1904) 海軍軍人。中佐。大分県生まれ。日露戦争旅順港閉塞作戦で福井丸を指揮。行方不明の部下杉野上等兵曹を捜索したが,引き上げる途中ボート上で戦死。軍神とされた。https://kabu-watanabe.com/glo

ひろせげんきょう【広瀬元恭】とは

ひろせげんきょう【広瀬元恭】とは|一般用語(1821-1870) 江戸末期の医師・蘭学者。甲斐の人。京都で私塾時習堂を開く。津藩藩医。京都官軍病院長。https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/27hi/3315.html

ひろせきょくそう【広瀬旭荘】とは

ひろせきょくそう【広瀬旭荘】とは|一般用語(1807-1863) 江戸後期の儒者・漢詩人。淡窓の弟。豊後日田の人。23 歳で兄に代わり学塾咸宜園(かんぎえん)を監督,のち堺に出て逍遥吟社をおこす。著「梅□詩鈔」など。https://kabu-watanabe.com/gl

ひろせがわ【広瀬川】とは

ひろせがわ【広瀬川】とは|一般用語仙台市西方の面白(おもしろ)山・関山峠付近を水源とし,ほぼ東流して仙台市街地を横切り,名取川に合流して仙台湾に注ぐ川。上流域に作並(さくなみ)温泉がある。https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/2

ピロスマナシビリ【Niko Pirosmanashvili】とは

ピロスマナシビリ【Niko Pirosmanashvili】とは|一般用語(1862 頃-1918) ロシアの画家。ピロスマニの名で知られる。グルジア生まれ。素朴な風景画や日常生活を描いた。https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/

ひろすえたもつ【広末保】とは

ひろすえたもつ【広末保】とは|一般用語(1919-1993) 国文学者。高知県生まれ。法政大教授。元禄文学を中心に,美術・演劇などに文学の発想の原点を問う。著「近松序説」「悪場所の発想」など。https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan

ひろしまわん【広島湾】とは

ひろしまわん【広島湾】とは|一般用語広島県南西部にある瀬戸内海の湾入。湾内には厳島(いつくしま)・能美(のうみ)島などの島々が点在し,湾岸に広島港・呉港などがある。カキ・ノリの養殖が盛ん。https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/2
スポンサーリンク