一般

あしかがよしあきら【足利義詮】とは

あしかがよしあきら【足利義詮】とは|一般用語(1330-1367) 室町幕府 2 代将軍(在職,1358-1367)。尊氏の子。元弘の乱で新田義貞とともに鎌倉攻めに参加。尊氏の死後,1358 年将軍となり,足利政権の基礎を固めた。https://kabu-watanabe

あしかがよしあき【足利義昭】とは

あしかがよしあき【足利義昭】とは|一般用語(1537-1597) 室町幕府 15 代将軍(在職,1568-1573)。義晴の子。1568 年,織田信長に擁されて将軍となる。のち不和を生じ信長を討とうとしたが,73 年京都を追われ,幕府は滅亡した。https://kabu-

あしかがもとうじ【足利基氏】とは

あしかがもとうじ【足利基氏】とは|一般用語(1340-1367) 南北朝時代の武将。尊氏(たかうじ)の子。1349 年,関東に入り,初代の鎌倉公方となる。以後,その子孫が鎌倉公方を継承。上杉憲顕(のりあき)(1306-1368)を関東管領として補佐させ,室町幕府の関東経営の基

あしかがもちうじ【足利持氏】とは

あしかがもちうじ【足利持氏】とは|一般用語(1398-1439) 室町時代の武将。4 代鎌倉公方。1416 年,上杉禅秀の乱を平定。のち,将軍義教(よしのり)と対立,38 年(永享 10)関東管領上杉憲実(のりざね)を討とうとして幕府に攻められ,翌年自刃した(永享の乱)。

あしかがまさとも【足利政知】とは

あしかがまさとも【足利政知】とは|一般用語(1435-1491) 室町時代の武将。将軍義教(よしのり)の子。鎌倉公方足利成氏(しげうじ)と対抗するため,1457 年関東に派遣された。伊豆堀越(ほりごえ)にあって堀越公方とも称した。https://kabu-watanabe

あしかがぶんこ【足利文庫】とは

あしかがぶんこ【足利文庫】とは|一般用語足利学校付属の文庫。上杉憲実・憲忠ら寄贈の宋版本,北条氏政寄贈の金沢文庫本などを蔵する。現在,足利学校遺蹟図書館として存続。https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/01a/1855.html

あしかがばくふ【足利幕府】とは

あしかがばくふ【足利幕府】とは|一般用語⇒室町幕府https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/01a/1854.html

あしかがただよし【足利直義】とは

あしかがただよし【足利直義】とは|一般用語(1306-1352) 南北朝時代の武将。尊氏(たかうじ)の弟。尊氏の幕府創設に協力し,実権を握ったが,尊氏の執事高師直(こうのもろなお)と対立,尊氏とも不和になり毒殺された。https://kabu-watanabe.com/g

あしかがただふゆ【足利直冬】とは

あしかがただふゆ【足利直冬】とは|一般用語南北朝時代の武将。尊氏の庶子。直義(ただよし)の養子。長門探題。鎮西探題。養父直義が毒殺されてのち,尊氏と決裂。以後南朝方に属す。九州・長門で勢力を蓄え,1355 年尊氏を破って入京。2 か月後に奪回されて敗走し,中国地方を転々とした

あしかがたかうじ【足利尊氏】とは

あしかがたかうじ【足利尊氏】とは|一般用語(1305-1358) 室町幕府の初代将軍(在職,1338-1358)。初名は高氏。元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをし,後醍醐天皇の諱(いみな)尊治の一字を賜り改名。のち天皇にそむき,1336 年光明天皇を擁立し,室町幕府
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