一般

あしかけ【足掛け】とは

あしかけ【足掛け】とは|一般用語(1)足を掛けること。また,足を掛けるもの。(2)年・月・日などを計算する場合,始めと終わりの端数を 1 として計算する時に使う語。「―3 年」→満・丸https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/01a

あしがかり【足掛かり】とは

あしがかり【足掛かり】とは|一般用語(1)高い所へ登る時,足を掛ける支えとなるもの。足場。(2)物事をする時の手掛かりとなるもの。糸口。「解決の―を得る」https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/01a/1870.html

あしかがよしみつ【足利義満】とは

あしかがよしみつ【足利義満】とは|一般用語(1358-1408) 室町幕府 3 代将軍(在職,1368-1394)。義詮(よしあきら)の子。号は鹿苑院殿。1378 年室町殿造営。92 年南北朝合一を成しとげ,有力守護大名を抑えて幕府権力を確立し,94 年将軍職を義持に譲る。9

あしかがよしみ【足利義視】とは

あしかがよしみ【足利義視】とは|一般用語(1439-1491) 室町時代の武将。義教(よしのり)の子。義政の弟。今出川殿。義政の後嗣となる。翌年,義政の妻日野富子に義尚(よしひさ)が誕生したことから将軍継嗣争いとなり,義政と対立,応仁の乱を誘発した。https://kab

あしかがよしまさ【足利義政】とは

あしかがよしまさ【足利義政】とは|一般用語(1435-1490) 室町幕府 8 代将軍(在職,1449-1473)。義教(よしのり)の子。弟義視(よしみ)を養子としたが翌年実子義尚(よしひさ)が生まれ,将軍継嗣争いは応仁の乱の一因となった。73 年将軍職を義尚に譲り,のち東山

あしかがよしひさ【足利義尚】とは

あしかがよしひさ【足利義尚】とは|一般用語(1465-1489) 室町幕府 9 代将軍(在職,1473-1489)。義政・日野富子の子。叔父義視(よしみ)と将軍継嗣を争い,応仁の乱を誘発。近江の六角高頼(1462-1520)討伐のため出陣中病死。和歌をよくした。https

あしかがよしはる【足利義晴】とは

あしかがよしはる【足利義晴】とは|一般用語(1511-1550) 室町幕府 12 代将軍(在職,1521-1546)。義澄の子。細川高国に擁立されて将軍となった。実権なく,三好長慶・細川晴元らの政争に翻弄(ほんろう)され,将軍職を子の義輝に譲った。https://kabu

あしかがよしのり【足利義教】とは

あしかがよしのり【足利義教】とは|一般用語(1394-1441) 室町幕府 6 代将軍(在職,1429-1441)。義満(よしみつ)の子。義円と称して僧籍にあったが,義持の死後,石清水社前で諸将が行なった鬮(くじ)によって後嗣と決定。鎌倉公方足利持氏や土岐持頼らを討って将軍の

あしかがよしてる【足利義輝】とは

あしかがよしてる【足利義輝】とは|一般用語(1536-1565) 室町幕府 13 代将軍(在職,1546-1565)。義晴の子。三好・松永氏らの勢力が強く,将軍職の形骸化(けいがいか)に反発,逆に松永久秀らに暗殺された。https://kabu-watanabe.com/

あしかがよしたね【足利義稙】とは

あしかがよしたね【足利義稙】とは|一般用語(1466-1523) 室町幕府 10 代将軍(在職,1490-1493,1508-1521)。義視(よしみ)の子。島公方・流れ公方とよばれる。1490 年将軍となり,93 年出陣中細川政元にそむかれ職を退く。1508 年大内義興(よ
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