とくがわじだい【徳川時代】とは

とくがわじだい【徳川時代】とは|一般用語⇒江戸時代https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/20to/1841.html

とくがわいえよし【徳川家慶】とは

とくがわいえよし【徳川家慶】とは|一般用語(1793-1853) 江戸幕府第 12 代将軍(1837-1853)。家斉の二男。幼名敏次郎。はじめ家斉が大御所として実権を握っていたが,その死後水野忠邦を登用して天保の改革を行わせた。1853 年ペリー来航直後に病没。http

床土(とこつち)とは

床土(とこつち)とは|造園用語苗のために設けられる苗床に用いる土壌。床土の条件は、有機質に富み保水性・通気性に優れ、団粒構造であること。病原菌や雑草種子が混入していないこと等も挙げられる。また、芝生を造成するための植栽基盤なども床土と呼ぶ。https://kabu-wat

とくがわいえやす【徳川家康】とは

とくがわいえやす【徳川家康】とは|一般用語(1542-1616) 江戸幕府初代将軍(1603-1605)。三河岡崎城主松平広忠の長男。幼名竹千代,のち元信,元康,家康と改めた。はじめ今川義元,のち織田信長と結び東海に勢力を拡大。豊臣秀吉の天下統一後はこれに協力,関八州を与えら

とくがわいえもち【徳川家茂】とは

とくがわいえもち【徳川家茂】とは|一般用語(1846-1866) 江戸幕府第 14 代将軍(1858-1866)。紀州藩主徳川斉順の長男。幼名菊千代。紀州藩主時代の名は慶福(よしとみ)。井伊直弼(なおすけ)に擁立され,皇女和宮を迎えて公武合体策を推進。第二次長州征伐出陣中大坂

とくがわいえみつ【徳川家光】とは

とくがわいえみつ【徳川家光】とは|一般用語(1604-1651) 江戸幕府第 3 代将軍(1623-1651)。秀忠の二男。幼名竹千代。諸法度の制定,参勤交代など諸制度を整備,キリシタンを弾圧して鎖国を断行,以後 200 年余にわたる幕府の支配体制を確立した。https:

とくがわいえはる【徳川家治】とは

とくがわいえはる【徳川家治】とは|一般用語(1737-1786) 江戸幕府第 10 代将軍(1760-1786)。家重の長男。幼名竹千代。老中田沼意次は積極的な経済政策を行なったが,他方で賄賂が横行した。https://kabu-watanabe.com/glossary

チューブ灯(ちゅーぶとう)とは

透明な赤色チューブの中に豆電球が連なって入った灯火。夜間、道路工事で使用する。

とくがわいえのぶ【徳川家宣】とは

とくがわいえのぶ【徳川家宣】とは|一般用語(1662-1712) 江戸幕府第 6 代将軍(1709-1712)。甲府藩主徳川綱重の長男。綱吉の養子。幼名虎松。側用人,間部詮房(まなべあきふさ)を老中とし,新井白石を登用して正徳の治を行なった。https://kabu-wa

とくがわいえなり【徳川家斉】とは

とくがわいえなり【徳川家斉】とは|一般用語(1773-1841) 江戸幕府第 11 代将軍(1787-1837)。一橋治斉の長男。家治の養子。幼名豊千代。田沼意次を排して,松平定信を老中主座とし,学問を奨励,寛政の改革を行わせた。定信失脚後家斉親政になると,幕政はゆるみ,爛熟
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