とくがわのぶやす【徳川信康】とは

とくがわのぶやす【徳川信康】とは|一般用語(1559-1579) 戦国時代の武将。家康の嫡出長男。織田信長の娘を娶り,岡崎城主。信長から武田氏通謀の嫌疑をかけられ家康の命により二俣城で自刃。https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/

とくがわなりあき【徳川斉昭】とは

とくがわなりあき【徳川斉昭】とは|一般用語(1800-1860) 江戸末期の水戸藩主。治紀の三男。字(あざな)は子信,号は景山・潜竜閣。諡号,烈公。弘道館の設立,兵制改革などの藩政改革を行い,幕政参与となったが,井伊直弼と対立,安政の大獄で蟄居(ちつきよ)させられた。ht

とくがわつなよし【徳川綱吉】とは

とくがわつなよし【徳川綱吉】とは|一般用語(1646-1709) 江戸幕府第 5 代将軍(1680-1709)。家光の四男。幼名徳松。母(桂昌院)は本庄氏。上野館林 15 万石の領主。4 代将軍家綱の養子となり将軍職を継いだ。文治主義の政治を展開,その後,側用人柳沢吉保を登用

とくがわつなしげ【徳川綱重】とは

とくがわつなしげ【徳川綱重】とは|一般用語(1644-1678) 江戸前期の大名。家光の三男。家宣の父。幼名長松麿。通称甲府殿。甲府 25 万石領主。5 代将軍就任を図ったが,大老酒井忠清に阻まれた。https://kabu-watanabe.com/glossary/i

とくがわただなが【徳川忠長】とは

とくがわただなが【徳川忠長】とは|一般用語(1606-1633) 江戸初期の大名。幼名国松。通称駿河大納言。将軍秀忠の三男。駿府 55 万石の大名だったが,兄の将軍家光と不和になり,改易後上野高崎城で自刃させられた。https://kabu-watanabe.com/gl

とくがわじだい【徳川時代】とは

とくがわじだい【徳川時代】とは|一般用語⇒江戸時代https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/20to/1841.html

とくがわいえよし【徳川家慶】とは

とくがわいえよし【徳川家慶】とは|一般用語(1793-1853) 江戸幕府第 12 代将軍(1837-1853)。家斉の二男。幼名敏次郎。はじめ家斉が大御所として実権を握っていたが,その死後水野忠邦を登用して天保の改革を行わせた。1853 年ペリー来航直後に病没。http

床土(とこつち)とは

床土(とこつち)とは|造園用語苗のために設けられる苗床に用いる土壌。床土の条件は、有機質に富み保水性・通気性に優れ、団粒構造であること。病原菌や雑草種子が混入していないこと等も挙げられる。また、芝生を造成するための植栽基盤なども床土と呼ぶ。https://kabu-wat

とくがわいえやす【徳川家康】とは

とくがわいえやす【徳川家康】とは|一般用語(1542-1616) 江戸幕府初代将軍(1603-1605)。三河岡崎城主松平広忠の長男。幼名竹千代,のち元信,元康,家康と改めた。はじめ今川義元,のち織田信長と結び東海に勢力を拡大。豊臣秀吉の天下統一後はこれに協力,関八州を与えら

とくがわいえもち【徳川家茂】とは

とくがわいえもち【徳川家茂】とは|一般用語(1846-1866) 江戸幕府第 14 代将軍(1858-1866)。紀州藩主徳川斉順の長男。幼名菊千代。紀州藩主時代の名は慶福(よしとみ)。井伊直弼(なおすけ)に擁立され,皇女和宮を迎えて公武合体策を推進。第二次長州征伐出陣中大坂
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