近江八景(おうみはっけい)とは

近江八景(おうみはっけい)とは|造園用語

中国の瀟湘八景にならって選ばれた琵琶湖の8か所の景勝。守屋毅(1980)によると、わが国に八景が選ばれたのは近江八景が最初ではない。1331(元弘元)年没の本源禅師の詩文集「鈍鉄集」には博多八景が見いだされ、年代不明であるが室町時代に流行した曲舞(くせまい)に、奈良八景が近江八景と共に入れられているという。近江八景がいつ、だれによったか定説はないが、一応、応仁・文明のころ(1470年ごろ)には琵琶湖に八景を想定しようとする着想があったこと。これが文献に見え一般化したのは江戸時代の初めであることは確かなようである。一説には、1500(明応9)年8月、近衛政家が佐々木高頼の招請で近江国に滞留した折に、政家が八景を詠んだという。ただ、これにも疑問があり、むしろ王朝時代から歌枕として人口に膾炙(かいしゃ) してきた地点が徐々に特定化し、政家の玄孫に当たる近衛信尹(このえのぶただ)、(三藐院(さんみゃくいん))筆の近江八景についての画讃(園城寺(おんじょうじ)円満院蔵)が描かれるようになるまでに成長していったと理解される。具体的に詠まれている近江八景は次の通りであるが、わが国における他の八景のお手本になるほどの影響力があったこと、あるいは庭園内に縮景再現される主題となったことなど注目に値する。(1)堅田の落雁、(2)八橋(矢橋)の帰帆(きはん)、(3)粟津の晴嵐(せいらん)、(4)比良の暮雪(ぼせつ)、(5)石山の秋月(しゅうげつ)、(6)唐崎の夜雨(やう)(7)三井の晩鐘(ばんしょう)、(8)勢多のタ照(せきしょう)。→ふうけいかん

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