詩仙堂庭園(しせんどうていえん)とは

詩仙堂庭園(しせんどうていえん)とは|造園用語

江戸初期の武将石川丈山〔1582〜1672〕が京都に隠棲、山水画的発想のもとに滝・流れに小さな石の反橋や刈込による連山風の築山に楼閣状の五層の塔灯籠を配した唐様枯山水の庭。丈山は徳川氏に仕え、大阪夏の陣では一番乗りの武勲を立てたが、先駆け禁令を破った罪で蟄居を命ぜられ、1640(寛永17)年東山一乗寺村のこの地に移った。彼は漢籍・詩文に優れ、書もよくし、中国の隠士、文人の生活を理想とした。そして本朝36歌仙にならい漢詩による漢・唐・宋の36詩聖を林羅山の意見を聞いて選び、坐像を狩野探幽、詩は丈山が隷書体で書いた額を掲げ建物を詩仙堂と命名、一段下がった石段脇には典型的な僧都(そうず)がある。史蹟。京都市左京区一乗寺門口町。1,090㎡。

詩仙堂庭園|し|造園用語集用語集|株式会社渡辺|問題解決のスペシャリスト集団
詩仙堂庭園とは造園用語集。株式会社 渡辺 |先人の想いを先進の技術で切り開く。「建設部門」を通じて豊かな国土の実現と社会資本整備の中心的な役割を担います。 「電気設備点検」「道路インフラ点検」を通じて国民の安全安心を確保に努めます。「ECサ...

タイトルとURLをコピーしました