2026-05

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みなもとのつねのぶ【源経信】とは

みなもとのつねのぶ【源経信】とは|一般用語(1016-1097) 平安後期の廷臣・歌人。俊頼の父。三船(詩・歌・管弦)の才を兼備。清新な歌風を示し,藤原通俊らと対立した。著「難後拾遺」,家集に「大納言経信集」「帥大納言集」がある。https://kabu-watanabe
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みなもとのためよし【源為義】とは

みなもとのためよし【源為義】とは|一般用語(1096-1156) 平安末期の武将。義家の孫。義朝・為朝・行家の父。源氏の家督を継ぐ。世に六条判官とも。保元の乱に崇徳上皇方について敗れ,後白河天皇方についた義朝の嘆願も及ばず殺された。https://kabu-watanab
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伸縮継手(しんしゅくつぎて)(-)とは

伸縮継手(しんしゅくつぎて)(-)とは⇒エキスパンションジョイントhttps://kabu-watanabe.com/glossary/kenchiku/12si/372.html
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みなもとのためのり【源為憲】とは

みなもとのためのり【源為憲】とは|一般用語(?-1011) 平安中期の学者・文人。出家した冷泉天皇皇女尊子(たかこ)内親王のために「三宝絵詞」を撰進。ほかに著「口遊」「世俗諺文」など。https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/32m
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みなもとのためとも【源為朝】とは

みなもとのためとも【源為朝】とは|一般用語(1139-1170) 平安末期の武将。為義の八男,義朝の弟。巨躯・剛勇・強弓をもって聞こえ,13 歳の時九州に渡り,鎮西八郎と称された。保元の乱には崇徳上皇方で奮戦したが捕らえられ,伊豆大島に配流された。のち狩野茂光に攻められて自害
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みなもとのたかくに【源隆国】とは

みなもとのたかくに【源隆国】とは|一般用語(1004-1077) 平安後期の廷臣・文学者。幼名,宗国。高明の孫。権大納言にいたり,宇治大納言と称された。「宇治大納言物語」(散逸)を著したという。「今昔物語集」の編者ともいわれるが不詳。https://kabu-watana
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みなもとのたかあきら【源高明】とは

みなもとのたかあきら【源高明】とは|一般用語(914-982) 平安中期の廷臣・学者。醍醐天皇の皇子。西宮左大臣・西宮殿と称される。安和(あんな)の変に連座,大宰権帥に左遷される。朝儀に通じ,有職故実書「西宮記」がある。https://kabu-watanabe.com/
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みなもとのしたごう【源順】とは

みなもとのしたごう【源順】とは|一般用語(911-983) 平安中期の学者・歌人。嵯峨源氏。三十六歌仙の一人。梨壺の五人の一人として万葉集の訓釈(古点)ならびに「後撰和歌集」の撰進に参加。漢詩文は「扶桑集」「本朝文粋」などに散見。著「倭名類聚鈔」,家集「源順集」https
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みなもとのしげゆき【源重之】とは

みなもとのしげゆき【源重之】とは|一般用語(?-1000) 平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。清和天皇の曾孫。帯刀先生(せんじよう)。冷泉天皇の東宮時代に奉った 100 首は現存最古の百首歌。家集に「重之集」がある。https://kabu-watanabe.com/gl
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みなもとのさねとも【源実朝】とは

みなもとのさねとも【源実朝】とは|一般用語(1192-1219) 鎌倉幕府 3 代将軍。頼朝の二男,頼家の弟。母は北条政子。幼名,千幡(せんまん)。1203 年将軍となるが実権は北条氏が握った。18 年右大臣。翌年正月,鶴岡八幡宮社頭で甥の公暁(くぎよう)に暗殺され,頼朝直系
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