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よしだとうご【吉田東伍】とは

よしだとうご【吉田東伍】とは|一般用語(1864-1918) 歴史・地理学者。越後の生まれ。独学で歴史を研究し「徳川政教考」を著す。また,「大日本地名辞書」を編纂(へんさん),地理学の発展に貢献した。https://kabu-watanabe.com/glossary/i
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よしだつかさけ【吉田司家】とは

よしだつかさけ【吉田司家】とは|一般用語相撲の家元。熊本の行司吉田追風(おいかぜ)が,1789 年谷風・小野川両力士に横綱土俵入りを免許,これを機に行司の家と相撲集団を支配したのに始まる。行司・力士免許の授与を行なってきたが,1951 年(昭和 26)以後,日本相撲協会に権限
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よしだせいいち【吉田精一】とは

よしだせいいち【吉田精一】とは|一般用語(1908-1984) 国文学者。埼玉県生まれ。東京教育大・東大教授。日本の近代文学研究の発展に指導的役割を果たした。著「自然主義の研究」など多数。https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/3
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よしだしんとう【吉田神道】とは

よしだしんとう【吉田神道】とは|一般用語室町末期に,吉田兼倶が大成した神道の一派。神・儒・仏・道四教および陰陽道の関係を説き,神道を万法の根本とし,神主仏従の立場から反本地垂迹説を主張。唯一神道。唯一宗源神道。卜部(うらべ)神道。https://kabu-watanabe
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よしだしょういん【吉田松陰】とは

よしだしょういん【吉田松陰】とは|一般用語(1830-1859) 幕末の尊王論者・思想家。長州藩士。名は矩方(のりかた),通称は寅次郎。ペリー再来の時,密航を企てて,下獄。のち萩の自邸内に松下村塾を開き,高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文ら維新の指導者を育成。安政の大獄に連座,刑死
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よしだしげる【吉田茂】とは

よしだしげる【吉田茂】とは|一般用語(1878-1967) 政治家。東京生まれ。東大卒。外務次官,駐伊・駐英大使などを歴任し,第二次大戦後,外相。1946 年(昭和 21)第一次内閣,48~54 年第二次から五次に至る内閣を組織。51 年,サンフランシスコ講和条約・日米安全保
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よしださだふさ【吉田定房】とは

よしださだふさ【吉田定房】とは|一般用語(1274-1338) 鎌倉後期・南北朝時代の廷臣。後醍醐天皇の討幕計画を幕府に密告したが,天皇の信任厚く,建武新政府に重きをなした。日記「吉槐記」がある。https://kabu-watanabe.com/glossary/ipp
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よしだこうとん【吉田篁□】とは

よしだこうとん【吉田篁□】とは|一般用語(1745-1798) 江戸後期の考証学者。江戸の人。清朝の考証学に学び,古書籍を収集・校勘。著「論語集解考異」など。https://kabu-watanabe.com/glossary/ippan/38yo/0914.html
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よしだげんじろう【吉田絃二郎】とは

よしだげんじろう【吉田絃二郎】とは|一般用語(1886-1956) 小説家・劇作家・随筆家。佐賀県生まれ。早大卒。小説「磯ごよみ」「島の秋」など。宗教的詩情をたたえた随筆感想集「小鳥の来る日」は大正期のベスト-セラー。https://kabu-watanabe.com/g
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よしだけんこう【吉田兼好】とは

よしだけんこう【吉田兼好】とは|一般用語(1283 頃-1350 頃) 鎌倉末期から南北朝初期の歌人・随筆作者。本姓は卜部(うらべ)。慈遍の弟(一説に兄)。和歌を二条為世に学び二条派の和歌四天王と称せられ,「続千載集」以下の勅撰和歌集に 16 首入集。その著「徒然草」は「枕草
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